静岡民医連


この記事はMainichi-INTERACTIVE(毎日新聞)に掲載されたものを、毎日新聞の許可を得て転載させていただいたものです。


ビキニ半世紀:福竜丸の問いかけ/1 ひそかに広がる「死の灰」の犠牲

水爆の恐ろしさを伝えるため、修復された第5福竜丸=東京都・第五福竜丸展示館で2月

 ビキニ事件から半世紀の3月1日を前に、第5福竜丸の関係者たちが動き始めた。「これが最後の機会。今、言わないと正しい歴史が伝わらない」。元漁労長の見崎吉男さん(78)は、焼津市に記録の訂正を申し入れた。元冷凍士の大石又七さん(70)はビキニ環礁にあるマーシャル諸島を訪れるつもりだ。半世紀が問いかける数々の問題を追った。

 ◇輸血治療が原因−−死亡の大半、肝臓がんで

 目を閉じると、マグロやカツオの水揚げで沸く港の光景が広がる。東洋一と称された焼津港はこの半世紀で様変わりしたが、操機手だった池田正穂さん(71)にとっては、今も心和む場所だ。「50年だもんな」。池田さんは遠くを見つめた。「忘れたくても、忘れられん」。手の甲にはケロイドの跡が今も残る。

 94年制定の「被爆者援護法」は、ビキニ事件を契機に広がった核廃絶の動きに応えてできた被爆者医療法を引き継いだ法律だ。広島、長崎の被爆者を対象に、国が健康診断や治療費を負担することを定めている。だが、ビキニ被ばく者はその対象外だ。法律の厚い壁に挑み、風穴を開けたのは、元甲板員の小塚博さん(73)だった。

 ビキニ事件は、米政府からの慰謝料7億2000万円で「政治決着」した。乗組員23人が受け取ったのは、一人200万円ほど。分配額は被ばく治療が続く入院中に決まった。退院すると、船員保険から乗組員への給付は打ち切られた。

 小塚さんがC型肝炎と分かったのは、事件から40年近く過ぎたころだった。「肝炎感染は、被ばく治療の際に受けた大量輸血が原因だ」。県と掛けあったが、発症までの期間が長すぎるとして請求を退けられた。周囲に励まされ、国の社会保険審査会に船員保険の再適用を求めた。

 00年7月。二度の挑戦で国から「補償」を勝ち取った時には、診断から7年半の歳月が流れていた。「画期的な裁決」とされたが、小塚さんを支え続けた大石又七さんには、医学的常識を行政がようやく認めただけとしか思えない。

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 元乗組員のC型肝炎問題が公然となったのは、被ばくから40年が過ぎた95年のことだ。原爆投下から50年にあたり、広島市で開かれた「原水爆禁止世界大会」のシンポジウムで、浜松市の医師、聞間元(ききまはじめ)さん(59)は、広島、長崎に次ぐ「第3の被ばく」として、ビキニ事件の問題を提起しようと考えた。

 聞間さんは各地に散った乗組員を訪ね歩き、健康状態を確めた。「肝臓がよくないんですよ」。小塚さんは、C型肝炎に感染していると告げた。

 聞間さんの調査では、この時点で23人いた乗組員の8人が亡くなっていた。多くは肝臓ガンだった。残る15人のうち、「放射線医学総合研究所」(放医研、千葉市)での乗組員の健康診断を受けていた13人のうち12人がC型肝炎に感染していた。現在までにさらに4人が亡くなったが、うち3人は肝臓ガンだったという。

 最初の犠牲者、久保山愛吉さんの死は大きな衝撃を与えた。だが、長い時間を経て「死の灰」の犠牲はひそかに広がっていた。肝臓を患う乗組員の多くが高齢に達する前に世を去った。放医研の被ばく医療部長、明石真言医師(49)は、被ばくと肝臓障害の因果関係について、「総合的に考えると、被ばくによるものと言わざるを得ない」という。

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 「三重苦に今も苦しめられている」。聞間さんは、福竜丸の乗組員が歩んだ半世紀をそう表現する。体をむしばむ放射能、被ばく治療で受けた輸血で生じた肝臓障害。最後が、補償問題だ。

 小塚さんへの船員保険再適用が決まった後、聞間さんは残りの乗組員全員に「希望があれば相談してほしい」と手紙を出した。だが、返事は一通もなかった。被ばくした事実を隠しひっそり生きてきた乗組員が多いことを物語っている。

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 ◇15メガトンの威力、原爆の1000倍規模−−漁業関係者に打撃

 冷戦時代に生じた米ソの軍拡競争は漁師としてつつましく生きていた男たちの人生を大きく狂わせた。核兵器の恐ろしさ、理不尽さを象徴するこの出来事は、国民の怒りを呼び、草の根から広がった我が国の反核運動にも大きな影響を与えた。

 ◆死の灰

 1954年3月1日未明、米国が実施したビキニ環礁での水爆実験で、実験地の東北東約160キロ地点で調査操業中だった遠洋マグロ漁船「第5福竜丸」(焼津港)の乗組員23人が「死の灰」を浴びた。この水爆の威力は15メガトンで、広島に投下された原爆の1000倍もの規模だった。 福竜丸は同月14日に同港へ帰港。乗組員全員が東京の病院へ入院し治療を受けたが、同年9月23日、無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)が死亡、水爆実験の最初の犠牲者となった。

 ◆原爆マグロ

 事件発覚後、漁を終えて各地の漁港に入港する船が調べられた。その間、米国は54年5月14日までに計5回の核実験に踏み切った。海洋汚染が広がって多数の船から自然界のレベルを超える放射線が検出され、「原爆マグロ」と呼ばれた魚は廃棄処分にされた。 旧厚生省の調べでは、54年末までに判明した被災船数は全国で延べ856隻に上る。廃棄されたマグロなどは約48万6000トンに達した。これに加え風評被害も深刻で、漁業関係者に大きな打撃を与えた。

 ◆政治決着

 事件から10カ月後の55年1月、日本政府は、米国側から「最終的解決」として慰謝料200万ドル(当時で7億2000万円)の支払いを受けることで政治決着。米国へ謝罪を求めず、事実上、賠償請求も放棄した。 慰謝料は、第5福竜丸の乗組員1人当たり約200万円が分配され、残りは、損害を受けた全国の漁業関係者に与えられた。だが、政府が当初試算した損害額は慰謝料の3倍以上の約26億9000万円で、漁業関係者の反発を招いた。

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 ◆ことば・被爆者援護法◆被爆者医療法と被爆者特別措置法の原爆2法に代わり、1994年12月に制定された。前者の被爆者医療法は、ビキニ事件がきっかけで原水爆禁止の署名運動が広がり、広島、長崎の援護のために作られた。新しい被爆者援護法でも、広島、長崎の原爆被爆者と認定されれば被爆者手帳を交付するが、ビキニ被ばく者は対象から外れている。

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 ◆第5福竜丸乗組員の亡くなった年月

54年09月 無線長の久保山愛吉さん 40歳
75年04月 甲板長の川島正義さん 46歳
79年12月 甲板員の増田三次郎さん 53歳
82年06月 甲板員の鈴木鎮三さん 57歳
85年11月 操機手の増田祐一さん 50歳
87年03月 機関長の山本忠司さん 60歳
89年04月 甲板員の鈴木隆さん 59歳
89年12月 操機手の高木兼重さん 66歳
96年08月 操機手の久保山志郎さん 65歳
97年01月 甲板員の服部竹治さん 79歳
97年04月 甲板員の安藤三郎さん

71歳

03年05月 冷凍長の平井勇さん 71歳

(肩書は当時)

毎日新聞 2003年2月28日

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