静岡民医連


この記事はMainichi-INTERACTIVE(毎日新聞)に掲載されたものを、毎日新聞の許可を得て転載させていただいたものです。


ビキニ事件・半世紀の刻印:/5 大量輸血で肝炎発症

◇認定に47年の空白

 千葉市の放射線医学総合研究所(放医研)は、第五福竜丸が米水爆実験で被曝(ひばく)したビキニ事件をきっかけに1957年に設立された。元乗組員の健康診断をしている。

 検査費用や交通費は国が負担する。だが国費による検査はあくまで「実態調査」が目的だ。放医研は文部科学省の所管。健康診断は放射能がもたらす影響を調べるだけで、治療はしない。

 長く「放置」されていた問題がある。広島、長崎への原爆投下から半世紀の95年8月。広島の原水爆禁止世界大会のシンポジウムに登場した静岡県浜松市の医師、聞間元(ききまはじめ)さん(59)の報告は衝撃的な内容だった。

 元乗組員を訪ねて調査を続けている聞間医師は、肝臓の不調を訴えた元甲板員の小塚博さん(73)からC型肝炎と告げられた。専門家なら当然輸血での感染を疑う。

 「乗組員がかつて皆輸血を受けたのなら、相当数C型肝炎ウイルスに感染しているに違いない」。聞間医師はそう直感した。

 放医研に行き、調査の年次報告などを見ると、91年からC型肝炎ウイルスの感染の有無を調べていた。事件当時、被曝乗組員は白血球減少で免疫機能が低下しており、それを補うための輸血を受けた。その血液から感染したとみられる。

 第五福竜丸の乗組員は23人。95年当時は15人が生存していたが、健康診断を受けていない2人を除く13人のうち12人がC型肝炎と診断された。

 そして既に亡くなっていた8人のほとんどが肝臓がんだった。その後さらに4人が亡くなり、うち3人がやはり肝臓がんだった。

 元乗組員たちはC型肝炎を患っていることをかかりつけの地元の病院で初めて知ったという。これに対し放医研は「肝臓の異常を本人に直接伝え、紹介状に検査結果を明示した」と話すが、複数の元乗組員は「放医研からは肝炎感染を知らされなかった」と否定する。

 放医研で被ばく医療部長を務める明石真言医師(49)は「総合的に考えると、感染と被曝は一体と言わざるを得ない」と語る。感染と被曝は直接は結びつかないが、被曝治療に不可欠の大量輸血が、その橋渡しをした。明石医師は「肝炎は事件の一環として起きた」とみる。

 元乗組員に広島、長崎の原爆被災者の「被爆者健康手帳」に相当するものはない。被曝後、治療を東京の病院で受けていた彼らは退院すると船員保険が適用されなかった。出漁中、つまり職務上遭遇したこと(被曝)が原因で発した症状は既に治癒したという判断だ。体の不調が続く中で彼らは医療費の軽減を国民健康保険に頼るしかなかった。

 小塚さんが正式にC型肝炎と診断されたのは被曝から40年近くたってからだ。彼は漁の最中に遭遇した水爆実験が原因と主張し、県の社会保険審査官に船員保険の再適用を申請した。だが、県は被曝時期と肝炎発症までの間が長過ぎると認めなかった。

 小塚さんは国の社会保険審査会に申し立てた。輸血と発症の因果関係と、保険の再適用を認める裁決が出たのは00年7月。事件から実に47年近くたっていた。

 あまりに長すぎた。

毎日新聞 2004年3月5日

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