浜松佐藤町診療所内山看護師が「辺野古海上ヘリ基地反対運動支援・連帯行動」(10月4日〜6日)に参加しました。そのレポートを掲載します。
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10月4日〜10月6日まで、「辺野古海上ヘリ基地建設反対運動支援・連帯行動」に参加してきました。10月の沖縄はまだまだ暑く、強い日差しが照りつけていました。
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普天間基地見学・・・
宜野湾市の真ん中を貫く基地は、全市の26%をしめ、周辺には16の小・中・高・大学があります。緊急車両も迂回せざるをえない現状です。世界一危険なアメリカ軍基地と言われる基地の200m北にある沖縄国際大学に、8月13日ヘリが墜落しました。600m東にある中部商業高校にローターが落ち、住民は、“ヘリの音がいつもと違うと外に出てみると、東の方からヨロヨロとヘリがせまってきた。必死で逃げた”そうです。
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現場の前を走る道路は六間道路程度の道幅、道の反対側は住宅地です。地元の中学生が、“現場の黒い壁はいつか消えると思うが、わたしの心の黒い壁が消えることはない”と言っています。街に基地があり、戦闘機が飛び交う生活はやはり異常です。
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事故後、片付けをしていたアメリカ軍人はなぜ防護服を着ていたのでしょう?事故機には放射性物質であるストロンチウム90が搭載されていました。積んでいた6個のうち、5個は回収されましたが残りの1個は回収されませんでした。事故直後消火活動にあたった消防士のなかに、体調不良を訴えている人がおり、現在健康診断をしています。
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嘉手納基地見学・・・
嘉手納町の83%を占める基地。思いやり予算でつくられた設備は、シェルター(戦闘機の格納庫)1基¥400、000、000。診療所¥8、400、000、000。など・・・全て私たちの税金です。嘉手納基地周辺の学校で、爆音のため授業が続けられない時間は、12年間で2年間あります。その2年間を返して欲しい。
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基地は、陸上だけではありません。嘉手納ラプコン(嘉手納基地の管制塔)は、久米島を中心に半径約48Km、高度1524m(沖縄県がすっぽり入る)の管制権を持ちます。沖縄県を離発着する飛行機(もちろん民間機も含みます)は全て空港の管制塔と嘉手納ラプコンの許可が必要です。嘉手納ラプコンが故障したら・・・(時々あるそうですが)飛行機が離発着出来ません。着陸出来ない飛行機が空中で右往左往します。空港のせいでもない、飛行機が悪いせいでもない、嘉手納ラプコンの故障が原因なのです。おかしいと思いませんか?帰り際、基地の周辺にマスコミが押し寄せていました。直前に、戦闘機の空中接触事故がありました。こんな日常に飛行機事故が起こることを恐ろしく思いました。
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辺野古海上ヘリ基地建設反対運動・学習交流会・・・
座り込みを続ける地元の方からお話しを聞きました。4月19日から座り込みを続け、10月5日で170日の座り込みを続けています。座り込みの延べ人数は20000人。辺野古のおばあの平均年齢は72歳です。土曜日曜も休まず、台風の日も続けています。長さ2500m、幅730mの基地をつくるためのボーリング調査をさせないための行動です。辺野古の海は大変きれいです。世界珊瑚礁学会で辺野古を訪れたアメリカ人は、“こんなきれいな海に基地をつくるのか、知らなかった。自国では、きれいな珊瑚礁に基地をつくり埋め立てるのは許されない”と言ったそうです。自国で許されないことが沖縄だったら許されるのか?また、辺野古はジュゴン住む海です。日本の天然記念物のジュゴンは、文化財保護法でまもられています・・・が、この法律は直接殺してはいけないというだけの法律です。アメリカでは種の保存保護法の中にジュゴンが含まれています。しかし、9・11以降アメリカの法律が変わり、“軍事施設内は法律の適応外”になってしまいました。世界が戦争に向かって突き進んでいるように思えます。日本の思いやり予算で基地の運営が成り立っている。日本が育てているアメリカ軍隊が、イラクで人を殺している。日本がねらわれるのは当然。だからこれ以上基地をつくってはいけないのです。
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辺野古の座り込み・・・
朝7:30のテント張りから始めました。重いテント張りを毎日地元のおじい・おばあだけでしているのは感心するばかりです。途中、船で海上から辺野古の海とキャンプシュワブを見学しました。浅瀬にはジュゴンのえさとなる海草がたくさんあり、にカヌー隊が集まって調査を拒んだり。相手は自分たちより随分大きな船です。特にカヌーはエンジンもなく、プラスチックの軽いものです。海に落ちて船の下に入ってしまったら命が危ないのに、それでも海をまもるため、一日中カヌーで戦っています。真っ黒に日に焼け、ぐったりと陸に上がってくる人たちの思いの強さを実感しました。座り込みの最中はピリピリした雰囲気はなく、沖縄の野草講座や、さんしん講座、唄や踊りが繰り広げられ楽しい時間でした。沖縄戦で家族を奪われ、捕虜となり収容所に入っている間に土地を奪われ、女性は辱めを受け、それでも暴力で戦うことなく沖縄で生きてきたおじい・おばあの海・沖縄を守る思い、これが沖縄の心であり、完全非暴力の沖縄の座り込みなのだと感じました。一日座っているだけでヘトヘトに疲れました。これを170日休むことなく続ける人たちを、遠くから応援し続けたいです。
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南部戦跡見学・・・
ひめゆり学徒隊200名。1945年3月29日の卒業式は、三角兵舎でろうそくを1本たてて行われ、式が済むとすぐに壕に戻り負傷兵の手当を続けました。1945年5月末、ここに2100名の負傷兵、2名のひめゆり学徒が置き去りにされ、自決を強要されました。
ひめゆりの塔・・・
沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒・教師で編成されたひめゆり学徒隊の226名の戦死者を奉っています。3月の動員から解散命令を受けるまでの90日間の犠牲者19名に対し、6月18日、突然の解散命令後のわずか数日で100余名がなくなりました。しかし別の壕では、アメリカ軍の猛攻がおさまった6月26日に解散命令を出したところがあり、この壕は犠牲者が最小限に抑えられました。皆戦争が終わるまで隠れていられたら、こんなにも多くの犠牲者を出さずに済んだのにと、当時の軍事教育の過ちを恨みます。
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国吉部落・・・
沖縄本島の南部には自然壕が多く、住民が避難していました。戦闘が激しくなると皆南部に追いつめられ、壕を日本兵にとられ、住民が追い出されます。中北部からは戦車・空から爆撃・海からは艦砲射撃を受け多くの住民が犠牲になりました。この部落は全部で134世帯。うち、一家全滅が8世帯。家族の半分以上が亡くなった家20%。戦没者のいる家60%。一家全滅した家の跡地には、他の建物を建てることなく、敷地内にほこらが建てられ、地域住民が今でも線香をあげています。
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魂の塔・・・
戦後生き残った人々は、生きていくために畑を掘り始めました。しかし鍬で土を掘ると骨に当たります。供養するため、その骨を全て埋葬したところ、35、000体の遺骨になりました。その遺骨を全て奉ってあるのが魂 の塔です。日本兵も、住民も、アメリカ兵もみな一緒に奉ってあります。今でも、身内が何処で亡くなったか解らない人は、6月23日にここへきます。その畑には異常に大きなオバケ野菜ができ、皆気持ち悪がりましたが、食べないと生きていけない、亡くなった人の供養のためにもその野菜を食べたそうです。
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3日間、沖縄の歴史・現状を見て、聞いて、その上に辺野古基地反対運動があることを学び、改めてこの運動を応援し、職員に広めていこうと思いました。
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